――『D.Gray-man』(以下、『Dグレ』)と『ダークギャザリング』は、描き込み量や恐怖描写やキャラデザインなど、共通する雰囲気が見受けられます。師弟関係ということも含め、星野先生から近藤先生のルーツが探れるのではと、今回の対談をお願いさせて頂きました。
星野 いえ、私が何かしたという以前に、近藤くんは最初から今の印象がありました。アシスタントに来てくれた時に原稿を見せてもらったのですが、情報量がすごかったんです。
近藤 昔から漫画は描いていたのですが、プロになろうとしたきっかけが『Dグレ』なんです。高校3年生の頃にネームで迷っていて、そんな時に『Dグレ』を模写してコマ割やキャラの描き方のヒントをつかんでいったんです。
星野 そうなんだ~(照れ)。
近藤 ちょうど1・2巻の頃ですね。「初連載でこのクオリティ、ヤバいなぁ」…と思って。それが星野先生の最初の印象に繋がっていたのかと思います。
――初対面でのお互いの印象はいかがでしたか?
星野 当時の担当さんの紹介で来て頂いたんです。その時は『Dグレ』が好きということは知らずにお願いしていました。近藤くんの印象は「熱いなぁ、真面目だなぁ」で、それは今でも変わっていませんね。
近藤 「この人がレジェンド…!」と尻ごみした覚えがあります。初日の最後にファンであることを伝えました。今も「先生!」という意識ですが、以前より悠然とされている印象がありますね。
――アシスタント当時の近藤先生の仕事ぶりを教えて下さい。
星野 最初は週刊時代からいる美術スタッフの村上さんに『Dグレ』の背景の描き方を教えて頂いていましたね。影のベタの入れ方、レンガ一つ一つの描き方、煙の描き方…と全部決まっているので、まずはそこを徹底的に覚えて頂いたんです。真面目で忍耐強いから、最後にはすごく上手くなってくれました。当時のアシスタントは他にも斉藤さん、土屋さんといった、何でも吸収しようという熱意がある人ばかりが揃っていました。そんな環境の中で近藤くんもぐんぐん成長していってくれて「いい背景を描くなぁ~!」と感動するまでになってくれました。私、最後の頃は近藤くんの背景見て、めっちゃ「ありがとう!」って言ってたよね(笑)。
近藤 はい(笑)。星野先生の仕事場は大変でしたが、それ以上に学びが大きかったです。基礎から仕込んで頂き、その頃に学んだものは今も自分のベースにあると思います。でも確か最初は背景ではなく、デジタル要員として呼ばれたんですよ。皆さんのアナログ技術に圧倒されて、アナログも教えて下さいとお願いしたんです。
星野 当時の『Dグレ』はキャラやコマをアナログで描き、トーン・効果・仕上げをデジタルでやっていたんです。背景もアナログで描いたものを取り込んで。なので近藤さんはデジタル仕上げのために来て頂いた………というのを今、思い出しました(笑)。ガツガツと背景を描いている印象が強くて忘れていました!
――星野先生は途中からデジタルを導入されたのですね。
星野 3.11の震災がきっかけでデジタルを導入したんです。『封神演義』(藤崎竜)でデジタルを担当していた斉藤さんと土屋さんに入って頂き、その後に近藤くんが加わり…と、デジタルができる方を集めていたんです。私も美術スタッフの村上さんも週刊時代からずっとアナログだったので、いきなりデジタルでは描けない。なのでキャラと背景はしばらくアナログだったんですね。近藤さんは斉藤さん、土屋さんからデジタルを、村上さんからは背景の描き方…と、二つの基礎を学んだことになりますね。
近藤 すごい充実していました。2年半くらいお世話になっていたのですが、とにかく技術や表現の開発を皆さんがやっていたので、それを勉強していました。もちろん星野先生から学んだことも大きかったです。スキルや仕事への姿勢は当然ですが、誌面の向こうにいる「読者」をものすごく強く意識されている点に改めて驚いていました。
星野 その頃のアシスタントさんたちは私に指示されたことをただやるのではなく、そこから応用してもっと良いものにしていこうという気概がある人たちばかりでした。お願いしたらそれ以上のものが上がってきて、私も勉強になっていました。私も最初は自分がデジタルを使うことは考えていませんでしたが、皆の仕事を見て、自分もデジタルで描こうと思うようになりました。
――『Dグレ』はいつからフルデジタルになりましたか?
星野 導入は急でしたが、背景とかはいつからでしたっけ。確か25巻くらい…?
近藤 確か2013年の4~5月くらいじゃなかったでしたっけ。
星野 すごいね!何もう、真面目(笑)。技術がすごく高いのに通勤が大変だったり、体調が悪くて通えないアシスタントさんたちにお願いするために、少しずつ在宅システムを作っていったんです。今は完全に在宅になっています。