時震の影響でおかしくなった歴史を修正する。
それが僕たち航時局歴史管理課、通称THRのお仕事。
とはいえTHRエージェントも公務員であり、一応休日くらいは設けられていたりする。今日はお仕事もお休み。天気も快晴だし、絶好のお出かけ日和だった。
せっかくの夏の一日をビル内の自室で過ごすのはもったいない――。そう思った僕は、暑さに項垂れていた同僚をひとり誘って、こうして近所のレジャープール施設へと足を運んでみることにしたのである。
「ちょっとミツキ。なんでわたしがこんなとこで泳がなきゃいけないのよ」
僕の隣で不機嫌そうな表情を浮かべているのは、栗色の髪を三つ編みに結んだ少女だ。
くりんとした気の強そうな目に、桜色のほっぺた。うっすら汗の浮かんだ白い肌。露になっている鎖骨や太ももには、ついつい目が奪われてしまう。
それもそのはず。今日の彼女の身体を包んでいるのは、フリル付きの可愛らしいビキニなのだ。その慎ましやかな胸元も、ほっそりした腰回りも、実に清楚で魅力的だった。
まさにアイドル級の風格。なんとも日本人離れしたルックスの持ち主だが、彼女はそもそも日本人どころかこの時代の人間ですらない。
実は何を隠そう、彼女は時を超えて現代にやってきた偉人――ナポレオン・ボナパルトなのである。近代ヨーロッパを震え上がらせた、あのフランス最大の皇帝陛下なのだ。
まあ、でかい浮き輪を身体に装着したアホっぽい姿からは、とてもそんな想像は出来ないだろうけれども。
彼女――ナポ子がきょろきょろと周囲を見回している。
「だいたいなんでここ、周りが子供ばっかりなの」
「そりゃ子供用プールだしね」
そうなのだ。ここは主にお子様向けの遊泳プールである。水深も五十センチほどしかない。
僕たちの周囲ではしゃいでいるのも、幼稚園から小学校低学年くらいの子供たちばかりだ。学校が休みの日ということもあって、子供ばかりのイモ洗い状態になっている。
「なんでわざわざ子供用なのよ」ナポ子が顔をしかめる。「波の出るプールとか、流れるプールとか、向こうに面白そうなのいろいろあったじゃない」
「だってナポ子、深いプールに行ったら溺れるでしょ」
僕がそう告げると、ナポ子は「はあ?」と唇を尖らせた。
「馬鹿にするんじゃないわよ! このフランス皇帝が溺れるはずないでしょう!」
「あれ? もしかしてナポ子って、実は水泳得意だったの?」
「当たり前よ! わたしの辞書に不可能の文字はないんだから!」
彼女は薄い胸を反らしながら、そんなお決まりの台詞を言い放った。
ううむ。これは誤算。まさかナポ子が泳げたとは。
毎度毎度ドジで無能な彼女のことだから、てっきり泳げないものだとばかり思っていたのだ。これは少し、あなどり過ぎていたのかもしれない。
「ちなみにナポ子、どのくらい泳げるの?」
「ふふん、聞いて驚くのね」ナポ子がにやりと唇を歪める。「なんとわたし、『水を張った洗面器に十秒間顔をつけていられる』レベルなのよ!」
「え?」
「ついでに言うと、ちょっとだけならその状態で目も開けられるわ!」
「だから……なに?」
「水なんて恐れるに足らずってことよ! すごいでしょ!」
この子、どや顔でいったい何を言っているのだろう。なにがすごいってむしろ、水に顔をつけられただけでこれだけ調子に乗れているあたりがすごい。そのレベルって、普通のひとは小学校低学年くらいで通過しているのでは……。
ナポ子が得意気に続ける。
「もはや、泳ぎのプロと言っても過言ではないわ。なにせ軍にいた頃には、しょっちゅう部下たちからも『司令官は水泳の天才ですね』って羨望の眼差しで見られていたくらいだしね」
「ああ、そういうこと……」僕はため息をついた。
部下の皆さんたちは大方、彼女の金づちっぷりを面と向かって非難することが出来なかったのだろう。彼らが適当におだて上げてしまった結果、ナポ子は自分を水泳の天才だと誤解してしまっているのだ。
「〝カリスマ〟のおかげで、ナポ子は散々甘やかされてきたんだもんなあ」
やはり当初の予想通り、彼女は泳げないものと断定していいだろう。この皇帝陛下の場合、基本的に無能だと思っておいて間違いはない。子供用プールに来て大正解だった……。
「じゃあ今日はここで僕と一緒に、泳ぎの練習をしようか」
「え? なんでよ。わたし水泳の天才よ? いまさら練習の必要なんてないじゃない」
冗談ではなく本気でそう言っているんだから、ある意味恐ろしい。
しかし、さすがにこの調子じゃこの先心配である。任務中、泳ぎが必要になる場面も出てくるかもしれないのだ。そのときにナポ子が溺れてしまったのでは困る。
僕は必死に言葉を選んで彼女を説得する。
「ええとその、ナポ子が水泳の天才だっていうのはわかってるけどさ。せっかくならこの際、その才能をもっと伸ばしてもいいんじゃないかって」
「ふむ……。まあ、それも一理あるわね」したり顔でナポ子が頷いた。「おまえもなかなか見る目があるじゃない。この〝ヨーロッパの怪物〟を、水泳界においても怪物として頂点に君臨させようという魂胆なのね」
顔に水をつけるのがやっとのくせに、水泳界制覇すら視野に入れているとは……。自信だけは確かに怪物級だった。
「わかったわミツキ! じゃあ今日一日、おまえを専属トレーナーに認定してあげる! わたしのインペリアルな泳ぎを世界に見せつけるわよ!」
「ああうん、そうだね……」もはや苦笑いするしかなかった。
かくして今日は皇帝陛下とふたり、子供用プールでの水泳特訓を行うことになったのである。
「いち。に。いち。に。……はいその調子だよ」
ナポ子のバタ足に合わせて掛け声をかけながら、ゆっくりと彼女の手を引いていく。
「ほらほら、足を休ませちゃダメ」
「くっ……これはなかなかハードな訓練ねっ……!」
ナポ子さん、たった数分のバタ足練習ですっかり息を荒げてしまっている模様。
これで浮き輪を身に付けていなかったら、すぐにでもお尻が沈んでいるところだろう。フォームもへったくれもなく、これでもかというくらいにわかりやすい金づちっぷりだった。
「ふうっ……ふうっ……! つ、疲れる……!」
「ナポ子頑張って。僕もこれ結構恥ずかしいんだから」
大の男が女の子の手を引いて、子供用プールで水泳の訓練をする――これはかなりの羞恥プレイだった。周囲の家族連れからも奇異の視線を向けられている気がする。
「ママー、あのおねえちゃんおよげないのー?」「こら、指さしちゃダメでしょ!」……みたいな感じで。
しかし当のナポ子は、意外にも得意気な表情を浮かべていた。
「こ、子供たちも、わたしの華麗なバタ足に見惚れているみたいじゃないっ……!」
「見惚れてるのかなあ」
「そうに決まってるわ! さすがわたし! 泳ぎですら下々の者を魅了してしまうなんてっ!」
さすが皇帝陛下である。プラス思考もここまでくると清々しい。
「でも、周りにひとが増えてきちゃったね」
「た、確かにそれもそうね……。ちょっと手狭になってきたかも……」
「どうしよう。いったん休憩がてら、飲み物でも買いに行こうか?」
「それならわたし、いちごフロートが飲みたい」
バタ足を止め、ナポ子が立ち上がろうとする。
しかし次の瞬間、
「ふぎゃあっ⁉」
彼女が変な悲鳴を上げながら、僕の方へと覆いかぶさってきたではないか。
「え、なに、どうしたの?」
「いや、なんか背中にぶつかって……」
肩越しに彼女の背後を覗き見ると、幼稚園児くらいの海パン少年が尻もちをついている。
「いってーなあ」
彼の傍には子供用のウォータースライダー。高さ三メートルくらいの、比較的小さめなアスレチック遊具だ。
なるほど、彼はあそこで遊んでいたのだろう。滑り台の勢いが付き過ぎたおかげで、ナポ子の背中に衝突してしまったのだ。これだけの人混みなら、仕方がないかもしれない。
僕は「ねえキミ」と少年に声をかける。
「大丈夫だった? 怪我はない?」
しかし返事はなかった。彼はそそくさと立ち上がると、ぷいっと顔を背けて走り去ってしまったのである。
「おいこら、そこの子供! ゴメンナサイはどうしたの⁉」
少年の態度が気に食わなかったのだろう。ナポ子が眉をひそめていた。
「ぶつかっておいてその態度はなに⁉ 常識ないんじゃないの⁉」
「まあまあナポ子。相手は小っちゃい子供だしさ。そんなに目くじら立てなくても」
「なんなのよあれ。無礼極まりないわ! このフランス皇帝に向かって!」
憤懣やるかたない様子で、ナポ子がぷりぷりと頬を膨らませている。
この皇帝陛下をどうやって宥めすかそうかと頭を捻っていると、ふと頭上から子供たちの声が聞こえてきた。
「ていうか、そんなとこにいるほうがじゃまでしょ」
上に視線を向けてみる。さっきの子供と同じくらいの年頃の少年少女だ。ウォータースライダーの上から、数人の子供たちがそろって僕たちを睨みつけていたのだ。
「オトナなら、むこうのデカいプールにいけよ」
「もしかして、およげないからここにいるの?」
「ぷっ、こどもプールでおよぎのれんしゅう?」
「おっきいおねえちゃんのくせに……だっさー」
お子様方、ナポ子を見下ろして言いたい放題である。どうやら、子供用プールで練習する僕たちのことを疎ましく感じていたようだ。自分たちのテリトリーが侵略されたとでも思っているのだろうか。
「どっかいけ! ヘタクソおよぎでオレらのじゃましてんじゃねーよ!」
ヘタクソ、という単語にナポ子が眉を吊り上げる。どうやら、彼女の怒りの炎にはさらなる油が注がれてしまったようで。
「このクソガキども……! おまえたち、誰に口を聞いているかわかってるの⁉ わたしナポレオンよ⁉ ヨーロッパ最大最強の皇帝、ナポレオン・ボナパルトよ⁉」
「だれだよ。しらねーよ」
「〝こうてい〟ってなに? せんせーよりえらいの?」
「さあ? たいしたことねーんじゃねーの? あのおんなアタマわるそーだし」
ナポ子がどれだけ吠えたてようとも、子供たちの反応は薄かった。そりゃあまあ、さすがに幼稚園児じゃナポレオンは知らないだろう。相手が悪い。
「さっさとどっかいけよー。ひんにゅーおんな」
「ひんっ……⁉」
子供に貧乳呼ばわりされるなど想定外だったのだろう。ナポ子は目を白黒させている。
「こ、このインペリアルおっぱいを侮辱するとはなんて生意気な……! 目上の人間に対する口の聞き方も知らないの⁉」
「どこが〝めうえ〟なんだよー」「えらそうなだけじゃん」「なにひとつソンケーできない」
子供たちの反論に、ナポ子の眉が吊上がる。
「おまえたちが知らなかろうか、わたしは偉いの! 超偉いの! 少なくとも、おまえらみたいなバカタレどもよりはずうっと偉いのよ!」
ナポ子がどんなに憤りを見せようとも、スライダーの上の子供たちは余裕の表情である。「バカっていうほうがバカなんですー」と、更なる煽りをしてくる始末だった。
思慮分別ある大人なら、「相手が子供だから」とやり過ごすところなのだろうが、このフランス皇帝にそれを要求するのは無理というものである。
「ああああああ! もう頭に来たああああああっ!」
なんとナポ子さん、地団太を踏んでブチ切れ。そのままついに実力行使に出てしまった。
「黙れクソガキどもおおおおおっ!」
手にしていた浮き輪を思い切り振りかぶり、子供たちに向けてぶん投げたのである。
「うわあ! ひんにゅーおんながキレた!」「ヒステリーだ!」「オトナゲねーな!」
「くそっ、やりかえせ!」「なんでもいいからぶんなげろ!」
子供たちが団結し、手にした浮き輪やらボールやらでナポ子に反撃を開始する。水鉄砲で狙撃してくる者もいた。お子様集団ながら、なかなかのアグレッシブさである。
イルカの遊具がナポ子の顔面にヒットし、彼女は「わぷっ!」とたじろいでしまう。
「いい度胸じゃないの、ガキども! このわたしを完全に敵に回す気なのね!」
「ちょっとナポ子⁉ 子供相手にムキになっちゃダメだよ⁉」
「止めないでミツキ! これは戦争よ! フランス皇帝の誇りを守るために、わたしは今こそ立ち上がらなければいけないのよ!」
このブチ切れ皇帝様、子供相手に戦争を仕掛ける気満々である。
争いは同じレベルの者同士でしか発生しない――どこかの神様がそんなことを言っていたけれど、まさに僕は今その光景を目の当たりにしてしまっていた。
まったく、どっちが子供なのやら。
「突撃いいいぃぃぃ!」
なんとナポ子さん、まっすぐウォータースライダーへと突っこんでいくではないか。
裏側に回って階段を使うという選択肢すら頭に無いのか、まっすぐそのまま滑り台を駆け上がろうとしている。猪突猛進ぶりにもほどがある。
「ナ、ナポ子、それは危ないから!」
慌てて彼女の背後から手を伸ばしたのだが、
「なにすんのよミツキ! 邪魔するなっ! 放せええっー!」
よっぽど頭に血が上っているのだろうか、ナポ子は僕に羽交い絞めにされても腕をぐるんぐるんと振り回して抵抗してくる。ホントこの子ってばもう。
そうこうしているうちに、頭上のお子様方は更なる攻勢に出てしまう。
なんと彼らは「せーの」と声を合わせ、ウォータースライダー用の二人乗り浮き輪を持ち上げていたのだ。直径二メートルぐらいはありそうな巨大なやつを。
「ちょっと待って⁉ キミたちも容赦無さすぎない⁉」
しかし子供たちは僕の言葉などまるで聞き入れようともしなかった。彼らは無情にも、その巨大な浮き輪を投擲してきたのである。
ナポ子はもちろん、彼女を押さえつけていた僕も逃れることなど出来はしなかった。
思い切り浮き輪の直撃を受け、「へぶうっ⁉」と情けない悲鳴を上げながらプールへとひっくり返ってしまったのである。
「あいたた……」後頭部を擦りながら、ナポ子が身を起こす。
目を血走らせ、今にも反撃に転じようとしているようだ。
「もう! なんなのよあのガキども!」
だが僕はそこで、彼女の格好の違和感に気づいてしまう。
「ナ、ナポ子⁉ む、胸っ! 胸がっ!」
「は? 胸?」
「見えちゃってる! 見えちゃってるよ⁉」
そうなのだ。ひっくり返ってしまった衝撃のせいで、ビキニの留め金が外れてしまったらしい。トップの布地はどこぞへと飛んでいき、小ぶりなふたつの膨らみが白日の下に晒されてしまっていたのだ。
「え、あ、あれ⁉ 水着は⁉」
幸い周囲にはまだ気付かれていないようだったが、ナポ子も女の子だ。さすがにこの状態は恥ずかしいに違いない。そう判断した僕は、即座に対処を開始する。
光の速さで立ち上がり、彼女の背後に回る。そしてその控えめバストを手で覆い隠したのだ。
「うひゃああああ⁉ ちょ、ちょっとミツキ、急に何やってんのよ⁉」
「い、いやその、緊急事態だったので」
手のひらに感じる、ふよんふよんとした感触。
ナポ子のバストが手に収まるサイズで良かった。とっさに思いついた作戦だったが、周囲の視線をシャットアウトすることには成功しているようだ。
「バ、バカじゃないの⁉ むしろ恥ずかしいわよ!」
「僕自身が手ブラになること――今はこの方法しか思いつかなかったんだ」
「そ、そんなオサレっぽく言われても……んっ」
指先にちょっと力が入ってしまったのかもしれない。ナポ子が頬を赤らめてしまっていた。
「こ、こらっ……! も、揉むなあっ!」
「揉んでないよ? というかナポ子のおっぱいじゃ、揉んでもそんなに楽しくないし……」
「ま、またそうやって馬鹿にして! おまえそんなにギロチンに送られたいの⁉」
そうやってなんやかんやと言い合う僕たちを見下ろし、お子様たちが首をかしげていた。
「なあ、あのにーちゃんなにやってんだ?」
「あたししってるー。チカンだよあれ、チカン」
「チカンはハンザイでしょー。おまわりさんにつかまるんでしょー」
子供たちが僕に向けて、「チカンチカン」と楽しそうに連呼している。
まったく酷い言い草だった。冤罪ノーサンキュー。それでも僕はやってない。
「違うよキミたち! これは痴漢じゃないよ⁉ やむにやまれぬ緊急措置だよ!」
しかしお子様たちは白々しい表情で、
「はいはい」「あっそ」「ハンザイシャはみんなそういう」「これだからオトナは」「みぐるしい」
そんな風に口々に僕を罵るのだ。なにこの精神攻撃。
後はもう、「チーカーン! チーカーン!」コールの大合唱である。
「あのねえ、キミたち――」
反論しようと口を開きかけたのだが、
「おい、ちょっとあんた」
僕は黙らざるを得なかった。肩をぎゅっと強い力でつかまれてしまっているのだ。
振り向くとそこには、知らないオジサンの強張った表情が。
「なにしてるの。痴漢ってどういうこと」
オジサンの腕には「監視員」の腕章。
あれ? もしかして僕、マジで痴漢だと思われちゃってる――?
それからたっぷりと小一時間、監視員のオジサンのお説教は続いた。
僕の痴漢容疑が冤罪であることはすぐに判明したものの、お子様方とプールでモノを投げ合っていたのが良くなかったらしい。他のお客さんの迷惑になっていたようだ。
オジサンに「子供相手にケンカしちゃダメでしょ」と、ものすごく当たり前のことを諭されてしまい、すっかり意気消沈である。
僕まで怒られるのは、なんだかすごく納得いかなかった。ぐぬぬ。
「まったくもう。ミツキのせいでとんだ恥かいたじゃない」
売店で買ったいちごフロートを片手に、ナポ子が呟いた。
「いや、それはこっちの台詞だって。誰のせいでこうなったと思ってるの」
ナポ子はまるで悪びれない様子で「ふん」と鼻を鳴らす。
ちょっと不機嫌そうなのは、さっきの水着ハプニングが原因なのだろうか。
あのあとすぐに付近に漂っていたビキニのトップを見つけて回収したのだが、彼女はしきりに自分の胸元を気にしているようだった。
「子供にもひんにゅーって馬鹿にされたし」
「どんまい。あのくらいの子たちは歯に衣着せずものを言うからねえ」
でもまあ、と僕は続ける。
「別に貧乳だって貧乳の良さはあるし、そこも含めてナポ子は可愛いと思うけど」
「むう。な、なによ急に……」
頬が赤く染まっているのは、怒りが三割、照れが七割くらいだろうか。
ナポ子はそういうわかりやすいところが、特に可愛いのだ。
「ま、まあいいわ。ちょっと休憩したら続きに戻るわよ」
「そうだね。結局さっきはあんまり練習にならなかったし」
「え? 練習?」ナポ子が首を傾げる。
話がかみ合っていないのだろうか。僕も一緒に「え?」と首を傾げてしまう。
「続きに戻るって、泳ぎの練習に戻るって意味じゃないの?」
「違うわよ。あのクソガキどもをとっちめに戻るって言ってるの」
思わず絶句してしまった。
ナポ子さん、あれだけ説教されてまだ懲りていないんですか……!
「このナポレオン・ボナパルト、一度宣戦布告された以上は徹底的に戦うのがモットーなの。あのウォータースライダーを占領するまで、この戦争は終わらないわ」
さすがはヨーロッパの怪物。呆れるほど好戦的な皇帝陛下だった。
きっと彼女が十八世紀のフランスにいた頃も、こうやって周辺諸国に喧嘩売りまくっていたのだろう。当時の家臣たちの苦労がしのばれる。
「あのねえナポ子さん……」
結局この日は、ナポ子を説得しているだけで日が暮れてしまった。
なにかと子供っぽいナポ子だが、かといって子供用プールに連れて行くのも危険――それが本日、僕が得た教訓だ。
いっそどこかに、皇帝専用プールとかあればいいんだけれども。