ジャンプ・ノベル × 少年ジャンプ+ スペシャルコラボ ジャンプ・ノベル × 少年ジャンプ+ スペシャルコラボ
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 彼の右手が、僕のシャツのボタンをつかむ。
「だ、だめだよ八巻(やまき)、こんなところで……」
「すまない御戸(みと)。もう、俺は抑えられないんだ」
 壁を背にした僕に覆いかぶさるようにして、八巻が顔を近づけてくる。彼の表情はもはや、友人としてのものではなかった。その身の内で昂っている熱い感情を、思うさまこちらにぶつけたがっているのだろう。獣にも似た荒々しさを感じる。 「受け入れろよ。もう俺のこと以外、何も考えられなくしてやるから」
「や、八巻っ……! そんな強引にっ……!」
 八巻の指が、無遠慮に僕のシャツをはだけさせてしまった。
 もはや抵抗することも、逃げることも出来ない。いくらお芝居だからって、この男ちょっとやりすぎなんじゃないの――。
 そう思ったところで、横合いから「いいですねえ」と声がかけられた。
「なかなか雰囲気出てるじゃないですか。そのままポーズを維持してもらえますか?」
 そんな指示を出してきたのは、ケープを羽織った小さな女の子だ。
 さらさらと流れるような長い銀髪に、身長およそ一四〇センチのミニマム体型。見た目だけならとってもキュートな哲学娘、アリスである。
そんなアリスさん、今日はスケッチブックを片手にお絵かき中。その題材は、こともあろうに僕と八巻のBL(ボーイズラブ)シーンなのであった。

2021/7/21 航時局ビル アリス私室

 時震の影響でおかしくなった歴史を修正する。
それが僕たち航時局歴史管理課、通称THRのお仕事。

 ……のはずなのだが、今日の僕はなぜかアリス専用のデッサン人形となっていた。
「時震が無ければ、どうせ御戸さんは暇でしょう? だらだらと時間を無為に過ごすよりは、私の高尚な活動に協力した方がよっぽど有意義ですよ」
そんなことを言われて、ほぼ強引にアリスの部屋へと連れこまれてしまったのである。
しかも部屋の中には先客がいた。同期の広報課局員、八巻(やまき)良人(よしと)だ。
あまり歴史管理課とは接点の無いはずのこの男が、なぜアリスと行動を共にしていたのか。こりゃあなんだか良くない予感がプンプンするぞ、と思っていたのだが、その予想はドンピシャだった。アリスに「ふたりで壁ドンやってください」と言われたときには、正直耳を疑ったものである。 
 ちなみに〝壁ドン〟とは、攻め手側が受け手側を壁にドンと押し付けて逃げ場を無くし、強引に関係を迫るという、腐女子歓喜のシチュエーションを指すのだそうな。
つまり今現在、八巻が僕相手にやっている、この姿勢のことだ。
「これのどこが高尚な活動なの……?」
はだけさせられた胸を手で覆い隠しながら、僕はため息をついた。
 どうやら僕たちは、ポージングデッサンのモデルとして選ばれてしまったらしい。アリスは今、椅子に座って壁ドン中の僕たちを絶賛ドローイング中なのである。
なぜアリスがデッサンなどを始めたのか。そしてなぜBLなのか。
僕程度の凡庸な脳味噌では、理解することがまったく出来なかった。西洋最大の哲学者様の考えることは、難解すぎて時々意味不明なのだ。
「まあ文句を言うな。御戸よ」壁ドン姿勢のまま八巻が言う。「別にタダ働きじゃないんだ。このモデル手伝いが無事に終われば、〝びしょにち〟でアリスさんの密着生取材をさせてもらえることになっているんだからな」
〝びしょにち〟こと〝美少女局員の日常〟は、航時局ホームページで屈指のPV数を誇るグラビアページだ。管理者はもちろんこの男、八巻である。
 八巻は美少女を写真に収めることに並々ならぬ情熱を抱く男であり、中でもとりわけロリィな見た目の女の子を好む傾向がある。アリスの交換条件は、彼にとって垂涎のチャンスだったというわけだ。
「このロリコンめ……。その交換条件、まったく僕にはメリットが無いじゃん」
「まあまあ。どうせお互い暇なんだ。アリスさんに付き合ってやるのもいいんじゃないか」
 僕を至近距離で見つめながら、八巻が「ふっ」と笑みを浮かべる。
うう……近すぎてキモい。ノーマルな僕には、男に微笑みかけられて喜ぶ趣味などないのだ。
「ちょっといいですか」アリスがスケッチブックから顔を上げた。「八巻さん、もう少し表情を強気気味でお願いします。なんというかこう、『俺様がぶち(自主規制)してやるぜ』的な感じで。それから御戸さんは、もっと発情しているように頬を染めて。『彼に体中の(自主規制)を全て捧げてもいい』と思いこむんです」
「あのさあアリス、セリフが危なすぎて自主規制だらけになってるんだけど」
「どうせフィーリングで伝わるでしょう。いいからさっさとやるんです」
 ドローイングに勤しむ彼女の表情は、いつになく真剣だった。任務中にオペレーター業務に就いているときよりも、ずいぶんと真面目な雰囲気ではないか。
色々と物申したいところだったのだが、
「なあアリスさん。ちょっと質問なんだが」僕より先に八巻が口を開いていた。
「なんです」
「どうしてまた急にこんなことを? キミ、BL絵を描くのが趣味だったのか」
「ええまあ。最近急に思い立ちまして」アリスが表情を変えずに続ける。「先日、大手ネット掲示板の住人たちと、腐女子向けアニメ談議で盛り上がったのがきっかけですかね。私の中でBLの機運が高まってきたんです」
「はあ、機運?」僕は首を傾げた。
「ネットを色々と徘徊してみれば、趣味でBLイラストを公開している先達が多く見受けられましたからね。版権から創作まで、星の数ほど色々と」
「確かにまあ、その手の連中の活動は近年ますます盛んのようだな」八巻が頷く。
「どうせなら私もその波に乗ってやろうかと。支部で信者を集めて、伝説のBL絵師として即売会で壁になってやろうかと」
「支部? 壁?」
 言っていることはよくわからないが、アリスさん、なにやら新たな野望を抱いてしまった模様。気まぐれで付き合わされる僕にしてみれば、たまったものではないのだけれども。
「こないだはSFアニメが云々とか言ってたのに……。節操ないなあ」
「私、知識の収集にはジャンル制限を設けない口なんです。なにせ『万学の祖』という二つ名を持つくらいですからね」
「そういう意味で使っちゃうんだ、その二つ名……」
ともあれこのアリスという女の子、対象が二次元でさえあれば、確かにわりとなんでも楽しんでしまっているように思える。熱血だろうがSFだろうが萌えだろうが、オールジャンルに対応可能なのだろう。よく訓練されたオタク娘なのだ。
それで今はBL描きに夢中、と。
「しかしふと疑問なんだが」八巻が口を開いた。「そもそもBLというジャンルは、どうしてそんなに人気があるんだろうな。男同士が絡み合っているのを見て、そんなに楽しいものなのか?」
「はあ。八巻さん。あなたは何もわかっていませんね」
 アリスがやれやれと首を振った。
「禁断の関係だからこそいいんです。同性という壁を乗り越えることにこそ、私たちは興奮を覚えるのです」
「そういうものなのか……?」
八巻が首を傾げた。僕も同感だった。
「いいですか。こういう言葉があります。『友情とは、ふたつの肉体に宿るひとつの魂のことである』と。……まあこれ、ギリシャ時代に私が言ったんですけど」
 なにやら意味深な名言が飛び出してしまった。彼女は熱っぽい口調でこう続ける。
「男女のノーマルな恋愛関係は、しょせん肉体同士の結びつきを目的とする本能的な衝動にすぎません。しかし同性同士の関係は、魂の結びつきを究極的なゴールに据えるのです。それすなわち、高潔な精神性の表れに他なりません。だからこそBLは美しい」
「そうかなあ」と眉をひそめる僕を、アリスが「そうなんです」と睨みつけてきた。
「というわけで八巻さん。次はそのまま、御戸さんを引き倒してのしかかるようなポーズでお願いします。荒ぶる肉欲のままに蹂躙しちゃってください」
「アレッ⁉ やっぱキミ肉体同士の結びつきを重視しちゃってない⁉」
 思わず声を荒らげてしまった。
「細かいことはいいんですよ」アリスが鼻を鳴らす。
そうなのだ。この哲学娘、時折真面目な顔でものすごくいい加減なことを言うのだ。こういうところは本当に始末に負えない。
「まあ私の作品は、ちょっとハードコア路線を予定していますからね」
「ハードコアって……」
「受け側が首輪付けられて調教されるとか、後ろを無理やり拡張してアレやコレやらをインされちゃうとか……まあ、そういう内容ですね」
 淡々と告げられるアリスの言葉に、僕は思わず背筋が冷たくなってしまった。
「待ってアリス⁉ まさかそんなポーズのモデルまで僕らにさせるつもりなの⁉」
「大丈夫ですよ。痛いのは最初だけですから。友情を越えた魂の結びつきが、痛みを快感へと変えるはずですから」
「意味わからないこと言うのはやめて⁉」
 驚愕する僕を見て、アリスが「ちっ」と舌打ちをする。
「つべこべ言わず私の言う通りにすればいいんです。さあ八巻さん。御戸さんを押し倒してしまってください」
 さすがに八巻もそれは躊躇したのだろう。「ちょっと待ってくれ」と眉をひそめた。
「この男を性的に調教するなんて、正直気色悪い話だな……。アリスさんの頼みといえど、いくらなんでもそれは」
「〝びしょにち〟の密着取材で、私がスク水を披露するとしても――ですか?」
 それを聞いたこの男に、もはや躊躇は無かった。ゼロコンマ一秒で僕を床の上に押し倒し、両手両足を組み伏せてしまったのである。
「ちょ、ちょっと八巻くん⁉ キミ正気⁉」
「これでよろしいですか、アリス様」
「エクセレント。素晴らしい」
 八巻とアリスが微笑みを交わし合っていた。なんという外道どもだろう。本気で僕をBL調教しようというのか。
「やめてえええっ⁉ そんな展開誰も望んでないよ! 読者の皆様だって、BL展開より美少女とのイチャコラ展開が見たいと思っているはずだよ⁉」
「ごちゃごちゃやかましいですね」
 アリスが椅子を立ち、僕たちの方につかつかと歩み寄ってきた。
「ちょっと八巻さん。この男の腕を押さえたまま、頭側に移動してもらえますか」
 八巻は「仰せのままに」と身体を離し、僕の頭上方向へと移動する。バンザイ姿勢で床に押さえつけられている僕には、どうすることもできやしない。
 アリスは何を思ったのか、「よいしょ」と僕の腰の上に乗っかってきた。
 ふわりと薫る長い髪の香りに、思わずドキリとさせられてしまう。さほど重くないくせに、アリスのお尻の感触はしっかりと柔らかった。
「え、な、なに? どうしたの」
「なるべく近くで観察しようと思いまして」アリスが薄く笑みを浮かべる。「受け側が組み伏せられた状態で浮かべる、苦悶と恍惚が入り混じったような表情……わかりますか? 私が求めているのはその絶妙な表情です。ほら御戸さん。やってみてください」
「苦悶と恍惚って……そんな難しいこと言われても」
「出来ないんなら、私が手助けしてあげるしかないですね」
 アリスの小さな手が、僕の露になった胸元に伸びた。
手助けとはなんなのか――と思いきや、彼女は突然その指先で、僕の胸の先端部分をきゅっと捻り上げたのである。
「はあああうううううっ⁉」
「ふむ。いい声で鳴きますね。御戸さん」
 アリスはほとんど表情を変えず、僕の先っぽを責め立てる。ねじったり弾いたり、ころころと転がしたりと、もうやりたい放題だった。
「く、くすぐったいくすぐったい! なにするの⁉」
「どうです? 案外気持ちいいものでしょう? 御戸さんはおっぱいが大好きですもんね」
「好きだけど違うよ! 少なくともこういう方向性じゃないよ⁉」
自分より一回りも二回りも小さな女の子に、好き放題大事な部分を弄られてしまっているのだ。どうしても屈辱的なものを感じざるを得ない。
だがその一方で、アリスのフェザータッチに不思議な興奮を覚えてしまうのも事実だった。快感と屈辱に挟み撃ちされているような、大変に複雑な気分である。
「顔がにやけているぞ、御戸」八巻が鼻を鳴らした。
「そ、そんなことないし!」僕は思い切り首を振る。「というか八巻も八巻だよ! 友人がこんな目に遭わされてるのに、助けようともしてくれないわけ⁉」
「残念だったな。今の俺はアリス様とスク水の忠実なるしもべなんだ。大人しく責めを受け入れるんだな」
「このロリコン野郎め……」
「というかむしろ俺からすれば、今の貴様の立場は相当に羨ましいものだぞ。美少女にやりたい放題責められるなんて、我々の業界ではご褒美というしかない」
 特殊性癖をこじらせてしまった人間には、何を言っても無駄なのかもしれない。
 それじゃあもう八巻が代わってよ、と言いかけたその刹那――。
「れろっ」
 なんとアリスが、胸板に舌を這わせてきたではないか!
 小さな舌に先端をくすぐられ、僕は「あううっ!」と背を仰け反らせてしまう。
「な、ななな、なにするのアリス⁉」
「そうそう。いい表情するじゃないですか。それですよ、苦悶と恍惚の入り混じった表情」
 上体を起こし、アリスがさらさらとスケッチブックに描きこみを始めた。
自分が変な顔をしているところを観察&描写されてしまうというのは、かなり恥ずかしいものがある。僕の情けない姿は、このドS娘の手によってどのように描写されてしまっているのだろうか。激しく気になってしまう。
「ね、ねえアリス。ちょっと描いてる絵を見せてくれない?」
「はあ、別にいいですけど」
 アリスが「どうぞ」と手にしたスケッチブックをくるりと裏返した。
そこに描かれているものを見て、僕と八巻は揃って「え?」と首を傾げてしまう。
「なにこれ」
「なにって。御戸さんと八巻さんの絡み合いですよ。官能的でしょう?」
 アリスのイラストは、まるでわけがわからない代物だった。
およそ人間とは思えない形状をした軟体生物が二匹、互いに溶け合って融合を果たそうとしているような――そんな摩訶不思議な絵だったのである。
無理やりカテゴライズしようとすれば、ダリの絵(シュルレアリスムって言うんだっけ?)とか、そっち系統の絵だ。見ているだけでSAN値が減少しそう。
「官能的……というよりは、だいぶ前衛的な絵だよね」
「ナメクジの交尾にしか見えんな……」八巻も見たままを呟いていた。
「何を言っているんです。ちゃんと人間同士ですよ。ほら、ここが頭で、こっちが腕で……」
 そう説明されても、僕には理解することが出来なかった。人体の構造を無視しているというか、もはや人間を描く気がないようにすら思えてしまう。だいたい人間の背骨は、こんなにグネグネと自由自在に曲がったりするものではないのだ。
「もしかしてアリスって、超絶に絵が下手?」
「はあ?」アリスがむっと頬を膨らませる。「御戸さんごときに言われたくないですね。あなたの目の方が腐っているんじゃありませんか」
「いや、僕もそんなに絵が上手い方じゃないけどさ……。でも、さすがにこれはド下手に分類される絵なんじゃないのかと」
「言ってくれますね。この『万学の祖』に対して。私の頭の中には、古今東西の描画技術に関する知識が完璧に詰まっているんですよ」
 アリスがジト目で僕を睨みつけてきたが、ヘタクソはヘタクソなのだから仕方がないだろう。アリスの才能はあくまで〝博識〟であり、その知識を絵として出力する才能ではないのである。
 彼女は「ふん」と鼻を鳴らしながら、
「まあいいです。どうせ、あなた方のような凡愚には、私の美的感覚が理解できないというだけのことでしょう。この絵の出来を世間に問うてみれば、私が正しいということがすぐにわかりますよ」
 そんなことをドヤ顔で言い放つアリスの姿に、僕と八巻は思わず顔を見合わせてしまった。「え、これ世の中に出すつもりなの?」と。

 それから数週間後――。
 結論から言えば、アリスの言葉は正しかった。
とあるイラスト投稿コミュニティサイトにアップされたアリスのBLイラストは、一部の好事家たちの間で大反響を呼んでしまっていたのだ。『未確認軟体生物同士のBL』という得体の知れなさ加減が、一周回って興味を惹いてしまったのだろう。 理解することはあまりに困難。わけのわからなさゆえに、「哲学」タグが付けられてしまっていたほどだった。さすがは大哲学者、アリストテレスの所業である。
当のアリスは大変に満足顔で、
「世間はやはり私の才能を評価しましたね。これは私、BL絵師としても歴史に名を刻んでしまうことになるかもしれません」
 そんなことを言いつつ、僕と八巻を再びデッサンモデルに起用しようとするのである。
 アリスはその後、この謎の画風をひっさげ、THRの本業そっちのけでBL絵師への道を邁進しようとするのだけれども――それはまた別のお話だ。

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