『逃げ若』に携わる方へ取材を行うSP企画。
作中の鬼紹介で、書を担当されている前田鎌利さんの記事をお届け!
祖父母の言葉から書道と
本気で向き合う
──書家を目指したキッカケについてお聞かせください。
祖父母から「習うといいよ」と言われて5歳から始めたのがキッカケです。ちょっと重い話になるのですが、実の父親が1歳のときに亡くなっていて、父の両親である祖父母が僕と弟を引き取ってくれたんです。その祖父母が大正生まれで、文字の読み書きにとても苦労したみたいで…。だから苦労しないように習わせたという話を小6のときに聞いて「これはちょっと真面目にやらなきゃな」と思いました。もともと書くことが好きだったのと、一生懸命やれば賞をもらえて自分の強みにもなったので、そのまま続けて東京学芸大学の書道科に進学しました。大学では古典を勉強してオリジナルの書をガンガン書きましたね。ほかにも、現代アーティストの作品や文豪、画家たちの書を見る機会があり、バリエーションの豊かさに気づきました。インスピレーションをたくさんいただけたので、そこから自分の書風が出来上がっていった感じです。
──会社員から書家になるまでの経緯についてお聞かせください。
最初に就職したのは光通信という会社で、営業からスタートしたんですが、1995年に阪神淡路大震災が起きたんです。携帯電話もまだ普及していない時代ですから、関西にいる友人たちと連絡が取れなくなったんですよ。この震災がきっかけで連絡手段を持ってもらうのが大事なことだなと思い通信業界に就職しました。そこから2000年になって、携帯電話が普及したので今度は電波が繋がらないと意味がないなと思い、当時一番繋がらないといわれていたジェイフォンという会社に転職しました。ですが、ボーダフォンというイギリスの会社に買収されたんです。そのとき、僕は経営戦略として中長期計画で通信エリアを広げるために基地局を増やそうとしていたんですが、イギリスがOKを出さなくて…。その後、ソフトバンクがボーダフォンを買収してからは基地局を建てて、電車の中や地下鉄でも繋がるようにしました。そうやって繋がるようになって次はどうしようというときに「ソフトバンクアカデミア」という孫正義の後継者を育成する機関ができたんです。そこでいろいろな事業提案をしていましたが、2013年12月末に独立して書家になりました。会社員時代はひっそりと、ひたすら作品を作っていましたね(笑)。
書は感情を動かすツール
のようなもの
──前田さんにとっての書道の魅力についてお聞かせください。
自分の書が人の感情を動かしたときに魅力を実感しますね。詩を書いたら文章で内容は理解できるし、言葉の並びで感情も動きます。そこに書が加わると、さらにイメージが膨らんだり、心に強く刺さったりするんです。そういった感情を動かすツールみたいな感じですね。また、純粋に「書」という部分だけ見ると、黒い線が書かれていくじゃないですか。それを見るのも良いのですが、黒で囲まれている白の余白を見るのも書道の魅力だと思っています。「田」の中の四角は、活字だと全部均等になっていますが、人が書くと絶対均等にはならないんですよね。こういった白の大きさの変化が書く人の個性にもなります。
──書を書くときに大切にしていることは何でしょうか?
言葉の選び方ですね。自分が伝えたいことの根底にある想いの部分を、書というツールを使って外にアウトプットしているので、「何を書きたいか」「どの言葉をチョイスするか」というところをとても大切にしています。
──「1日1書」として書を公開されていますが、書く字はどのように決めていますか?
その日の中で「これを書きたい」というときもありますし、全然出てこないときはストックから出すときもあります。でも、常に今自分がどんな感情を持っているんだろうと内観はしています。その瞬間の感情を言葉に置き換えると、どんな文字が合致するだろうみたいな部分を結構大事にしていますね。
──完成には何枚くらい書かれるのでしょうか?
そんなに書かないんですよ。ほぼ1回で終わらせますが、気に入らないときは何枚書いても駄目なので、多いときには1つ作品仕上げるのに30~40枚書くときもあります。
──子供たちに書道を教える際に大事にしていることはありますか?
子供たちに教えるとなると、親御さんの「字を上手に書けるようにしてあげたい」という想いをどれぐらい組み入れるかという難しさがあるんです。その想いを全部組み入れると書き方の矯正が強くなるので、子供たちが書きたいことや表現したいことも出せるように工夫しています。例えば、明治時代に活躍した中村不折という画家の書が、新宿の中村屋の看板など今も残っているんですね。そういった、学校では教わらないような字を見せてあげて書いてもらうのですが、それだとどんどん下手くそなっていくんです(笑)。いい味は出ているのですが、親御さんにとってはそう感じられないかもしれないので、せめぎ合いですね。
──大人に教える際はどんな工夫をされるのでしょうか?
大人の場合は放っておいてもちゃんとやるんですが、それぞれ目指す所が違うんですよ。字を綺麗に、上手に書けるようになりたいという方がいれば、昇級昇段していきたいという方もいますし、自分とゆっくり向き合う時間を作りたいという方もいらっしゃいます。なので書く人の目的に合わせて教室で時間を過ごしていただくというのを意識していますね。
──プレゼンテーションクリエイターの会社を経営されていますがどんなお仕事になるのでしょうか?
プレゼン用の資料を作成したり、プレゼンスキルを教えたりする仕事です。いろいろな企業さんのプレゼン資料を作ることもしますが、作れる人も大事なんですよ。どの企業さんも伝えたいことがあって、それをビジネスで表現するのにちょうどいいツールがプレゼンテーションなんですよね。だからプレゼン資料を作れる人を増やすために、研修したり、講演をしたりということをやっています。
『逃げ上手の若君』について
──『逃げ若』で書を担当されることになった経緯をお聞かせください。
以前、松井先生が僕の作品をどこかで見たみたいで、対談のお話をいただいたのが出会いです。そこから食事などをご一緒するようになり「今度の作品ではいろんなアーティストとかプロフェッショナルとコラボレーションしてやっていきたいんだ」という話を松井先生がされて「書を書いてくれない?」といった話を受けたので「いいよ!書きますよ!!」という経緯で書かせていただきました。
──前田さんから見て松井先生はどのような人物でしょうか。
とても真剣に作品と向き合っているというのはいつも感じていて、それが作品から伝わってきますね。話をしているときもやっぱり「週刊少年ジャンプ」で作品を描くということにすごいこだわりを持っているなというのはいつも感じています。あとは遊び心がありますね。何か書を書いてといわれたら自分の好きな漢字とか言葉を選ぶじゃないですか。ところが、松井先生は「ビールと枝豆って書け」って。ビールと枝豆?みたいな(笑)。なのでビールのジョッキっぽい「ビール」の文字を書いて、枝豆っぽい「枝豆」の文字を書いたら、「いいね。飾っとくよ」といって松井先生の家の中に飾ってあります。
──『逃げ若』で特に記憶に残っている場面を教えてください。
最近書いた尊氏の書状ですね。今回の書状は書いていてしびれました。松井先生からは「申し訳ないけど尊氏っぽく書いてくれる?」とお願いされて、実際に残っている尊氏の書を臨書(真似て書く)するところから始めました。2日くらい臨書をして依頼された内容の文言を書くんですが、南北朝時代の文書の書き方を踏まえて、依頼にはなかった花押(署名)を最後に書いたら使われていたので嬉しかったです。
──臨書をして尊氏の書のクセは感じましたか?
書いている字自体は洗練されていましたが、武士っぽい淡白さも強いと感じました。あとは文字の行がブレずに真っすぐ書いているので、軸がしっかりしている芯の強い人だなというのが伝わってきました。掠れさせたりもしていないので、意志の強さを受け取りながら臨書をしていましたね。
──書からは真面目さが伝わったんですね。
そうですね。激情型な感じではないので、僕もさらっと書いたら松井さんから「さらっと長く書いちゃうと多分漫画に収まらないからちょっと縮めてほしいんだよね」といわれたので、切って縮めて送って「OKです」という感じでした。
──『逃げ若』の書を書くときに大事にされていることをお聞かせください。
『逃げ若』の世界観を崩さないことですね。あとはなるべく松井先生がどんなイメージを持っているのかを教えてもらうようにしていて、そこに寄せていくように意識しています。その上で僕なりにいろいろなバリエーションをお示しして、松井先生のイメージを当てはまるようにしていますね。
──鬼紹介の書は何パターンくらい書かれるのでしょうか?
ズバッと決まるときもあれば、全然決まらないときもあって、最低でも2~3パターン出すようにしています。多いときは6~7パターンくらいになりますね。
──特に思い入れのある書をお聞かせください。
馬頭鬼の今川範満が難しかったので記憶に残っています。結構バリエーションを出したんですが、僕自身なかなか納得いくものが書けなくて。納得がいかないまま終わっているんですよね。
──最後に、読者の皆さんに何かに挑戦する際のアドバイスをいただけるでしょうか。
何事も挑戦するときには、2つ大事なことがあると思っています。1つは「とりあえずやってみる」こと。もう1つは「時間がないなら何かをやめることを決める」ことです。やめれば時間ができるし、時間ができたら次のことにチャレンジできるので。今自分が使っている24時間の中で、何かを捨てる意思決定をすることが、何かにチャレンジする第一歩なのかなと。僕は子供の頃、テレビを見る時間を減らしました。書く時間を確保しようとすると別の時間を削る必要があるんですよね。ぜひ何かを捨てて、新しいことにトライしてもらいたいなと思います。
──ありがとうございました!