第1章 2/2
「浦原、腹減ってるならファットマン行こうぜ」
「いや、もう寄ってきた」
鞄からファットマンの紙袋を取り出して、新メニューであるルーベンサンドイッチに齧り付く。一口齧った瞬間、コンビーフの肉汁とザワークラウトの酸っぱさ、チーズとサウザンアイランドドレッシングの甘みが口の中に広がった。
匂いに釣られて寄ってきた小此木を追い払い、校内新聞を読み耽る。新聞に記載されていた我が校名物の菓子レビューをしげしげと眺めながら、
「小此木、ちょっと金貸してくれない? 菓子レビュー見てたら腹減ってきちゃった」
「おいくら?」
「三〇円。よっちゃんいか食べたくて」
小此木はまるで借金の連帯保証人になってくれと言われたかのようにぶるぶるぶると首を振って、
「三〇円!? そんな大金貸せないよ! 何言ってんの!?」
だよなあと呟きながらカフェラテをちびちび飲んで身体を温めながら、端まで目を通した新聞を折り畳む。
「新聞、誰も読まないなら捨てるぞ」
そう言いながらごみ箱の方に近付くと、ハンモックでゆらゆらしていた小此木が立ち上がった。
「待って待って待って。ぼく、ポーカーモンスターズの記事をスクラップにしてるんだ」
小此木が洒落た本棚からスクラップブックを取り出して、はさみをちょきちょきと鳴らした。納涼お月見杯を終えてからもポーカーモンスターズは暴虐の限りを尽くしており、毎月のように校内新聞の紙面を騒がしていたが、小此木はそれを面白がって記事を切り抜いてスクラップブックを作っているのだ。
最古の記事は「納涼お月見杯、優勝サークルによる声明発表!」だった。
【明浜市立東本郷中学校学級新聞10月号その1】
先週末に行われた納涼お月見杯にて王座戦に勝利したポーカーモンスターズ(以下、モンスターズ)の江頭代表より声明が発表された。声明文は関係機関への謝辞、これまで倶楽部が果たしてきた役割や責務を担うといった内容であったが、一般プレイヤーにとって重要なのは下記の一点である。
・今後ポーカーモンスターズは倶楽部同様に王座戦に応じる義務を負うものとする。これは本日より有効となる。
モンスターズが倶楽部に勝利した事でいわゆる勝ち逃げが危惧されていたため、同氏の発言は他のプレイヤーから歓迎ムードで受け入れられている。
そして最新の記事は「凍結ウーロン杯、王座戦挑戦者は現れず!」だった。
【明浜市立東本郷中学校学級新聞11月号その3】
倶楽部が破れて新たな王者にモンスターズが君臨してから早二ヶ月、冬の公式団体戦「凍結ウーロン杯」が迫るなか、王座戦申し込みの締め切り日までに挑戦サークルが一つも現れなかった事をポーカー審議会が発表した。
その記事を読んだ隊長は、王座戦の挑戦がなかった事をご祝儀タイムだと笑っていた。
そんなわけで第五自習室を占拠して欲望のままに悪事を働くポーカーモンスターズは、だらけにだらけきっているのであった。
「暇だね」
「暇だねえ」
「暇だな……」
「暇だから帰ろうかな、――いや待て待て。隊長がもうすぐ怒りながらやって来るのにこんなにだらけてちゃまずいぜ」
慌ててこいつらに活を入れようと思ったが、小此木がスクラップブックを本棚に戻しながら、
「入ってきた瞬間に真面目な会話すれば大丈夫だよ。ところで今週の魔導図書館司書連盟読んだ? どのキャラが好き?」
小此木の一言に赤村があくびをかましながら、
「マデリーン・パーカー。あの漫画、そろそろ打ち切られそうだよなあ。もうちょっと頑張って欲しいよなあ」、「僕は第七情報技研の面々かな。あと主人公も好きだよ。主人公が後方支援担当って珍しいよね」、「あれを後方支援って言うならな……。俺は小林が一番好きだ。中距離砲戦でやり合ってもよし、遠距離狙撃で削ってもよし、一番汎用性の高いキャラだと思うね」、「来週号は土曜日だっけ。――あ、次の土曜日って練習休みじゃん。みんな何するの?」、「寝る。あと散髪行かなくちゃ。いい加減髪の毛が重たくなってきた」、「髪の毛が重たいってすげえ表現だな……。俺はケッヂマーク始めたからレベル上げとアイテム稼ぎ」、「僕は受験勉強かな」、「みんな自由に過ごせていいですなあ。ぼくは姉ちゃんが家にいたら脱出、家にいなかったらのんびり読書するよ」、「大変だねえ」、「大変だよ。この間もさあ、姉ちゃんが家でさあ、ぼくが楽しみに取っておいたカニ味噌の缶詰食べておいてさあ、なんて言ったと思う? 分からない? 分からないよね? 分からない方がいいよ。もー姉ちゃんマジ煬帝!」、「親父に聞いて余ってたらもらってきてやるよ、カニ味噌の缶詰」、「本当に!? ああ、ぼくもう一生浦原くんについていくよ!」、「いいよ、ついてこなくて」、「あはは厄介そうだもんな!」
「みんなお疲れ。全員揃ってる?」
「でもそこはオリジナルレイザーにドンクベットすべきじゃないかな」、「いいや、俺なら様子見する。手札の範囲が絞れているからこそ、相手により多くのチップを賭けさせたい」、「俺も浦原と同意見だ。ここでスロープレイするメリットはデメリットよりも大きいはずだ」、「いやいやいやいや、絶対駄目だって。さっきの設定だとオリジナルはドンクベットすれば70%以上の確率でレイズするんだよ!? それを回収するのは善良なる市民の義務だってば」、「ねえ、議論が活発なようだけど、一旦静かにしてもらえないかしら」、「おお、隊長。すまんな、ポストフロップ戦術について討議していたんだ」
今、気付いたかのように振り向くと、扉の前に隊長が立っていた。
本名、江頭妙子。
ポーカーモンスターズの隊長であり、サークル唯一の女子生徒であり、先の秋期団体公式戦「納涼お月見杯」に勝利するために参加者百十五名を徹底的に分析する作戦を立案した我がサークル最強の――つまりこの学校最強の――ポーカープレイヤーだ。十年前に彼女の兄が電脳カジノで荒稼ぎした事がきっかけで、この中学校でポーカーが爆発的に流行った経緯があるが、その真相を知る者は少ない。
そして隊長の後ろには、もう一人見慣れない人物が立っていた。
「紹介しておくね。ポーカー審議会の木佐さんです」
口々に知ってるーという声を発する。
二年四組の木佐は同級生だ。多くの支持を集めてポーカー審議会の委員に当選した強者で、教育委員会から提出された次年度改革要望書への対応を巡ってガチガチに闘り合ったイン・ザ・ゴミ箱事件や、史上三度目のポーカー認定証剥奪処分が下った踊る木曜日など数多くの問題を調停し、解決に導いたその手腕と熱血ぶりは高く評価されている。
「皆さん、こんにちは」
隊長はにこやかに微笑みながら部屋を見回して、小此木で視線を止めた。
「小此木くん、あとで話あるから。――ところで窓ガラスに文字書いたの誰。わたし、跡が残るからやめてって言ったよね」
まずいと思って慌てて自分が手を挙げる。今、余計な怒りを煽る事は避けたい。
「小此木です」
「えっ」
「小此木くん。それもあとで話そうね」
隣で驚愕している小此木の肩をぽんぽんと叩く。夜釣りの時には小此木にさんざん迷惑を掛けられたのでこのくらいの借りは返してもらっても文句はあるまい。
「今日は定例ミーティングの前に木佐さんからお話があります。あ、木佐さん。適当なところに掛けてください」
「ありがとう」
「木佐、クッキーはどうだ?」
椅子に座った木佐にクッキーの山を勧めてみると、
「ありがとう。いただきます」
「あ、わたしも食べたい」
クッキーに手を伸ばした木佐を見て、隊長も同じようにひょいっと手を伸ばしたが、クッキーに到達する直前で、その腕を掴む事に成功した。
「隊長は後にしなさい」
「なんで?」
「いいから」
その言葉を訝しんでいる隊長の横で自分と柳と赤村と小此木が固唾を呑んで見守る中、木佐がクッキーを口に運んだ。
これがトリカブトクッキーなら体内の活動電位に異常が生じて嘔吐や呼吸困難を引き起こすはずだし、マリファナクッキーなら薬理作用で多幸感や酩酊感を覚えて呂律が回らなくなるはずだし、フォーチュンクッキーなら大凶が出てくるはずだ。
各々が椅子に座り、一人あぶれた小此木がハンモックに座ったのを確認してから木佐が口を開いた。
どうやらクッキーには即効性の毒物は入っていないらしい。
「皆さんの貴重なお時間を割いていただいて感謝します。あたしはポーカー審議会に所属し、渉外連絡会にも席を置いています。渉外連絡会の活動内容はご承知の通り、明浜市内の中学校にポーカーを広め、協力体制を築く事にあります」
ポーカー審議会の委員が外郭団体に名を連ねる事はよくある話だ。互いの組織の意思疎通が簡略となり、弾力的な運用が可能となる。そして、この時期に渉外連絡会が我々の元を訪れる理由は一つしかない。
「そして、今年も市内対抗戦の時期がやって来ました」
渉外連絡会がポーカーを広めていた明浜市内の中学校が集まる年一回のトーナメントイベント、それが市内対抗戦だ。
あーあーあれねという一同のリアクションに物怖じせず、木佐はぐっと拳を持ち上げた。
「先日、ポーカー審議会の定例会議でも対抗戦出場の承認が取れました。各校でポーカー活動も盛んになりつつある今こそ、明浜市内のポーカー活動発祥の地である東本郷中学校の強さを見せつけてやりましょう! つきましては、その第七回大会に東本郷中学校の王座を保持しているポーカーモンスターズに出場してもらいたいのですっ!」
勢い余って席を立ち、企画書をばしんとポーカーテーブルに叩きつけ、身体の前で拳を握り締めて熱意溢れるスピーチをしてくれた木佐を呆けた顔で見つめる。
「……出るメリットって何かあんの?」
そんな自分達の溢れんばかりの想いを赤村が代弁してくれた。
「メリット! 赤村くんはメリットがないと出場しないの!? 六年前に諸先輩方が明浜市内にポーカー活動のネットワークの礎を作り、渉外連絡会が日夜努力して他校との調整に勤しみ、ようやく連携体制が整いつつあるこの時期に、よくそんな事が言えるね!」
むちゃくちゃ暑苦しいが、こういう熱さは好感が持てると思う。しかしだからと言って、どうでもいいトーナメントにうつつを抜かすほど自分達は暇ではないのだ。
本気で怒っている木佐をまあまあまあと両手で制して、穏やかに話し掛ける。
「落ち着け、木佐。……ほら、俺達も凍結ウーロン杯の準備とかあるしさ。その市内対抗戦に俺達が出席する事で得られるメリットがあれば是非参加したいと思うんだが」
「そういう日本人的な断り方! 浦原くん、あたしそういうの嫌い!」
思わず笑ってしまった。
それから静かに話を聞いていた隊長に視線を向ける。
「隊長はどう思う?」
いつもなら、せっかくだから参加しようよと笑うところだが、隊長は伏し目がちに言い淀んだ。その珍しい光景に、男四人の注目が集まる。
隊長は頭に手をやって、ストレートの髪の毛をゆっくりと撫でた。
「……一般的には知られていない事実ですが、市内対抗戦の裏ではお金が動いています」
へえ、と思う反面、それも当然かと思う。
市内対抗戦は校内で行われるポーカートーナメントよりも遙かに金の掛かるイベントだ。会場設営費も交通費も食費も掛かり、各校で費用を負担する。でかい金が動けば、その裏でこっそり稼いでやろうという連中が現れるのは自然の摂理だ。
「市内対抗戦で自校が優勝できるかどうかにお金を賭ける、それだけの事です。……賭ける金額そのものは大した事ないし、そもそもポーカーがお金を賭けるゲームである事も分かってるよ。でも、わたしは中学生が行うイベントでお金を賭けるのは好ましくないと思う。だから、その悪しき風習を絶ちたいと考えています」
金の絡む物事はいずれ腐敗を招く。
それは隊長の口癖であり、この学校が証明した事実でもあった。そして恐らく経験則に基づくものでもある。
「姉御がそう言うなら、俺はやるぜ」
「ぼくも! なんだか面白そう!」
赤村の決断は早く、小此木は面白そうな事に目がない。その隣の柳はしばし悩んだ後、真面目な顔で口元に手をやった。
「僕は反対だな。市内対抗戦でお金が動いているのは知っているけれど、僕らの在学中にそれが問題になる可能性は低いと思う。敢えて火中の栗を拾う必要はないんじゃないかな」
隊長がまるで女王のように仕切るこのサークルにおいて、柳はあえて悪魔の代弁者になる事が多い。柳は推し量るような目つきで隊長を捉えた。
「具体的にはどうするつもり?」
「市内対抗戦会議で、賭けの原資として各校から集められたプール金の解体を提案したいと思っているの。解体した後の事まではまだ考えてないけども……」
「プール金は渉外連絡会の利権だから、他校だけじゃなくてうちの渉外連絡会も反対すると思うな」
「――先日、江頭さんから提案を受けて、うちの委員は全員納得させました!」
この学校では、しばしば脅迫に屈した時にも「納得した」という単語が用いられるが、大事なのは過程ではなく結果なのは世の常である。
鼻息荒く親指を立てる木佐を見て、柳が肩をすくめた。
「あとでプール金の具体的な捻出方法と過去に東本郷中学校が出した裏金の概算金額を教えてもらえるかな?」
そう言って隊長に軽くウインクする。
「現在のプール金がいくらになっているのか試算しておくよ」
大抵の場合、柳は目的の意義よりも、それを成し遂げるために必要な具体策に興味を持つ。自分の役割がサークルの頭脳である事を割り切っているのであり、そういうところがこいつの良いところだ。
そして隊長が自分を見つめた。その静けさを孕んだ瞳を、以前どこかで見かけたような気がした。
「……浦原くんはどう思う?」
隊長からポーカーモンスターズというサークルに勧誘されたその日から、自分は隊長のおもちゃ箱に入っている兵隊だと自負している。
そしてもちろん、おもちゃの兵隊は隊長の指示に従うのみである。
***
その日の練習を終えて第五自習室を出た後、ポーカー審議会の教室に立ち寄るという柳と別れ、隊長に怒られてすっかり憔悴しきった小此木とそれを気遣う赤村と校門で別れ、すっかり寒くなった冬の夜道を隊長と歩く。
「すっかり冷えてきたな」
「もう年末だからねえ」
「コート、暖かそうだな……」
そう言って、マフラーを喉元まで引き上げる。
「浦原くんも着ればいいのに」
隊長は呆れ顔で着ているダッフルコートの中で肩をすくめた。確かに東本郷中学校には学校指定のコートがあるのだが、我が校には男がコートを羽織るのは軟弱者という風潮があるのだ。
「隊長とか柳とか小此木みたいな軟弱者にはなりたくない。小此木と言えば、……大丈夫かなあいつ」
隊長は首を傾げて真っ暗な空を見上げ、頬に指をやった。
「うーん、ちょっと可哀想だったかもねえ」
ちょっと。
夜釣りの件で隊長に全てを洗いざらい話した小此木は、セサミストリートのテーマソングを二時間延々と聴き続けるという懲罰を命じられたのだが、二時間経った後にイヤフォンを外した小此木はトイレで吐いていた。それでも隊長の中ではちょっと可哀想な程度なのだ。隊長を怒らせるのは避けたいと改めて思う。
最近はすっかり日が暮れるのが早くなった。ほーっと吐いた白い息が電灯の明かりに照らされる。
「――隊長の気持ちは理解できるぞ」
隊長はそのまま一歩、二歩、三歩と足を動かした。
「……ありがとう」
十年前、この学校では一代目と呼ばれる隊長の兄は東本郷中学校に在籍する傍ら、海外の電脳カジノで二〇〇〇万円近い大金を稼いだ。
結局それは警察の知るところとなり、彼は転校を余儀なくされたが、その話を知った東本郷中学校の生徒達はポーカーというゲームに熱狂し、金銭の授受を伴うポーカーが無秩序にプレイされるという暗黒時代を経て、生徒に公正かつ倫理的指導を行うポーカー活動審議委員会、通称ポーカー審議会が生まれる事となった。
当時、四歳であった隊長に何かができたはずはないが、それでも隊長は当時の事を悔いている。
「まだ未熟な中学生であるわたし達は、いつかどこかで決定的なミスを犯す」
――隊長が内面を晒け出す事はあまりない。
それはきっと、自分の兄がこの学校に多大なる混沌を引き起こした後ろめたさに起因しているのだと思う。その事を知っている者は少ないし、それは隊長が心を開く事ができる人物が少ない事を意味している。
「お金の絡む物事はいずれ腐敗を招くから、プール金の存在は時間が経てば経つほど、金額が大きくなればなるほど、いずれ誰かが悪用する。今、わたし達にできるのは、その時のために少しでも被害を小さくしておく事だと思うんだ。ただポーカーが好きな人達のために。それと多分、加害者のためにも。わたしの兄のような人間を二度と出しちゃいけないし、兄が引き起こしたような無秩序な混乱を二度と起こしちゃいけない、って思うんだよね」
そこまで言ってから、隊長が恥ずかしそうな表情で自分の顔を覗き込んできた。
「ねえ、こういう考え方って青いかな……?」
青いか青くないかで言えば、びっくりするほど青臭い。
しかし、生半可な気持ちで誰かの個人的な感情に深く立ち入るのは、この上なく失礼な事のように思えた。
「……悪いけど、そういう話には興味ないんで」
いつか言われた言葉をそっくりそのまま言い返す。
隊長は一瞬呆気にとられた後にくしゃっと笑い、左肩にごんごんと頭突きをしてきた。
体育でバドミントンをやっていたせいか、ちょっと汗臭かった。
次回、江頭隊長が宣戦布告…!?
12/6(火)更新予定!