第4章 2/2
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「長瀬さん、ご報告ありがとうございました。皆様のおかげで明日の準備も滞りなく進みました。楽しい大会になりそうですね、僕も本当に楽しみにしています。……さて、以上で協議事項は終了となります。このまま閉会に移らせていただいて────」
「すみません」
椅子に座って静かにしていた隊長がまっすぐ手を挙げた。
「東本郷中学校、えーと……江頭さん」
名前なんてとっくに知っている癖に、名札を凝視してから、篠原が首を傾げた。
「何か?」
第五自習室で行われた秘密会議の二週間後、象の鼻中学校で第二回会議が実施された。今回は各校生徒の顔合わせも兼ねているため、我々ポーカーモンスターズの五名と渉外連絡会の木佐、それとポーカー審議会委員長の榊原が出席し、第二回会議の推移を見守る事となった。各校七名、合計四十九名の関係者と象の鼻中学校の渉外連絡会六名はとても一教室に収まらないため、今回は特別教室で会議が開催されている。
隊長が立ち上がり、それを合図に自分達モンスターズの隊員も立ち上がった。柳は無表情を貫き、髪の毛というアイデンティティを失って坊主になった赤村は目を細め、小此木はこのイベントを楽しめないのは筆舌に尽くしがたい悲しみであるという顔をしていた。
隊長は各校の関係者をゆっくり見回してから、しっかりと頭を下げた。
「先日は出過ぎた口を利いてしまい、誠に申し訳ありませんでした。事の経緯をよく理解もせずに、また皆様の気持ちを考えずに浅はかな提案をしてしまった事をここに謝罪致します」
実質的な敗北宣言だ。
隊長の独白を聞いた他校の生徒の様子を一瞥したが、意外にもどよめきや目配せは一切なかった。
隊長は凛とした表情で、象の鼻中学校の渉外連絡会事務局である篠原の方を向いた。
「以上です」
「……以上? 他に提案はありませんか?」
篠原が混乱するのも無理はない。「市内対抗戦に関する問題を解決したいので動議提出の機会をくれ」と、榊原が事前に根回ししてあるからだ。
「例えば、どんな事でしょう?」
「ええと、その、」
篠原はきっと、隊長が謝罪の後に妥協案を提示すると思っていたはずだ。
しどろもどろになっている篠原の声をきっかけにして、特別教室に座っていた各校参加者からどよめきの声が漏れる。篠原には事前の根回しの際に、他校には黙っておくようにと念を押したが、この様子ではどうやらこの場にいる全員が榊原の根回しを知っているらしい。担保のない約束は反故にされるという柳の目論みは当たったようだ。
「……王座戦挑戦状に関して、何らかのご回答がいただけるものと思っていたのですが」
「我が校の見解は何ら変わりありません」
瞠目している篠原と、その異変に気付いた他校の動揺が、まるで手に取るように分かった。
「それは……つまり、王座戦を受けて立つという事ですか?」
何を今さらとばかりに隊長は肩をすくめた。
「我々には王座戦を拒否する権利がありません。このまま市内対抗戦当日を迎えれば自動的に王座戦が始まりますし、前日までに皆様が挑戦状を取り下げた場合は挑戦権が失効します」
「……挑戦状は取り下げないぞ」
教室のどこかで誰かが呟き、それに賛同するざわめきが徐々に大きくなっていく。やがて声が静まった一瞬を見計らって、汐見平中学校の中村という名札をつけた生徒が手を挙げた。
「事務局の篠原さん。もう議題はないんだよな?」
「ええ、会議の議題は全て終了しています」
「では我々はこれで。これから東本郷中学校対策をしなくちゃいけないんでね」
皮肉めいた台詞を残して中村が立ち上がったのを皮切りに、次々と生徒達が離席していく。
隊長がその背中に声を掛けた。
「────お待ちください」
隊長が再び椅子に座り込んだ。しっかりと折り目のついたスカートから白くて細い足を覗かせて、隊長は落ち着き払った表情で人差し指を立てた。
ここからがこの話し合いの肝だ。
「確かに市内対抗戦には出場します。しかし先程の謝罪だけでは納得できない方がいる事ももちろん理解できます。そこで我々も、例の賭けに一口乗らせていただけないでしょうか?」
金さえ賭けてしまえば、わたし達は同じ穴の狢となる。
金さえ賭けてしまえば、二度とプール金解体を提案する事はできない。
隊長はそう主張しているのだ。
帰路に着こうとしていた生徒達が立ち止まり、隊長の発言の意図を汲み取ろうと囁き始める。そして、いち早くその発言の意図に気付いた篠原が、この会議始まって以来、初めての安堵の笑みを浮かべた。
「ええ、もちろんです。東本郷中学校が、我々と同じ立場を共有してくれるのは嬉しい。そうなれば王座戦挑戦状についても取り下げを検討できる。それでは東本郷中学校からの動議に賛成の方、挙手願います。ありがとうございます。……全会一致とみなし、提案は受理されました」
全会一致の挙手の後、教室に弛緩した空気が立ち籠めていた。彼らの誰もが、これでプール金に関する諸問題は全て解決すると確信していたはずだし、それは自分達も一緒だった。
つまりようやく、この会議の出席者は意見の一致を見る事ができたのだ。
動議の採決をしている間に誰かが持ってきたポーカーチップ満載のラックケースを手に取った篠原が、隊長の前にそっと置いた。
そして篠原が隊長に尋ねる。
「東本郷中学校はいくら積むおつもりですか?」
隊長はチップの入ったラックケースを一瞥し、それを優雅な動作で横へと押しやった。
各校生徒の顔に疑念が浮かんだその瞬間、隊長が動いた。
隊長は空気を読まない。と言うよりそもそも読む気がない。だから隊長は今回も、この場の空気に合わせるなどという行為は取らなかった。
上着のポケットから賭け金を取り出して、机にとんと札束を置いた。
「三〇〇万円あります」
まるで何でもない事のように隊長が言った。
各校の生徒は呆気に取られ、何一つ反応できなかった。
「我々は市内対抗戦が公明正大な大会である事を望み、皆さんと同じ土俵に立って、プール金を全額回収すべきと結論を出しました」
例えば、
もしも彼らがプール金解体案を否決しただけだったなら、こんな事にはならなかっただろう。王座戦を仕掛けてさえこなければ、恐らく隊長もプール金解体を渋々諦めたはずだ。
どうか彼らには分かって欲しい。
やったらやり返されるのだ。
手の擦り切れるような新札が積み重ねられた三〇〇万円の束は、やっぱり思ったよりも薄いように思えたが、事前に枚数をしっかり数えたので間違いないはずだ。
世界大会に三回出られるだけの大金だと考えてもぴんと来ないが、よっちゃんいかが一〇万個テーブルに置かれていると考えると、なんだかとんでもない事をしてしまったかのようで足が竦む。横を見ると、この三〇〇万円を捻出した小此木が、度肝を抜かれた他校の生徒達を見ながら恍惚とした表情で絶頂を迎えていた。
もはや後戻りはできない。
自分達も、彼らも、この先一歩でも踏み込めば双方ただでは済まない境界線を踏み越えてしまったのだ。
誰一人として声を発する事はできず、衣擦れの音すらしない静まりかえった教室で、台風の目となった隊長がにっこりと笑った。
「楽しい大会になりそうですね」
隊長が放つ微笑みの爆弾…!
次回、モンスターズにクリスマス!?
そして、隠し球と切り札飛び交う
闘いの火蓋が切って落とされる!
12/26(月)更新予定!